ALS若者ケアラーのblog

ALS患者の母を持つ20代若者介護者のblogです。

希望があるなら

この間介護が始まって1年と書いたが、それからさらに、母が人工呼吸器をつけて1年が経った。

 

どこまで認知されているものかわからないが、ALSという病気において「人工呼吸器装着」は避けては通れないテーマである。


要は「つけるか」「つけないか」の2択なのだが、そこには単なる医療的な措置の枠を超えて、「生きること」「死ぬこと」「幸せとは何か」…など、果てしなく壮大なテーマがもれなくついてくる。

 

別にそんな、やたらめったらでかい話をするつもりはないのだが、
今回は、母が「人工呼吸器」を装着するに至ったプロセスについて振り返ってみようと思う。

 

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ALSは、運動ニューロンが侵され、全身のありとあらゆる筋肉が動かなくなっていく進行性の病である。
(内臓・血管などの不随意筋は除く)
そのため、症状が進行すれば他の筋肉と同様に呼吸筋も弱まり、いずれ呼吸は停止する

 

よって、すべての患者は「人工呼吸器」を装着するかしないかという選択を、遅かれ早かれ迫られることになる。

 

ALSの進行において呼吸器を装着することは、いわゆる”延命"のための措置ともまた異なる。
なぜなら、ガンなどと違いALS自体で「死ぬ」ことはなく、そのあとも長い長い人生が続いていくからだ。

 

呼吸器を装着すればそのあとも生きられるし、しなければ死んでしまう。
...じゃあ、「装着する」一択なのでは?
普通に考えればそう思うだろう。

 

ところが、事態はそんなにシンプルではない。

 

日本のALS患者で、気管切開をし、人工呼吸器をつけるという選択する人は約3割と言われている。
つまり7割の人が呼吸器をつけずに、自然に呼吸が止まるのを待つ(というと穏やかな感じがするが、実際の苦しみは壮絶なものだろう)ということだ。

 

この3:7という数字が、ALSという病気の残酷さを端的に示していると言っていい。

 

生きる手段はあるのに生きられない人がマジョリティなのである。
それは、たとえ呼吸ができたとしても、体が動かない辛さ、人とコミュニケーションがうまくとれない苛立ちや悲しみ、家族や連れ合いの負担、金銭的なこと……などの様々な試練や無理難題が約束されてしまっているからだ。
24時間365日、誰かの手を借りなければ生きられない未来に希望が持てるほど、強い人なんてほとんどいない。

 

しかしだからといって、積極的に死にたいと思う人はいないだろう。
でも、周りの人の気持ちも汲みながら、自分自身の生きる意味を問い直すという過酷なプロセスから逃げることはできない。

私は患者ではないので想像するしかないが、その葛藤や苦しみは耐え難いに違いない。

 

呼吸器をつけるか否かは、まさに”究極の選択”だと言える。

 

 

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先述したように、母が紆余曲折の末気管切開の手術をし、人工呼吸器を装着したのは1年前。
前回までの記事で散々介護について愚痴を垂れ流していたのだが、結果的に言えば、それはほとんど私の意向によるものだった。


母はもともとALSを発症した時から、ALS患者のマジョリティの例に漏れず、「気管切開をしない、呼吸器はつけない」と宣言していた。

 

その頃(今もだが)ぼーっとした娘だった私は、そんなもんか、と受け止めていた。
まだ母が自分の足で動き回っていた時の話だ。
私にとってはあまり現実味もなかったし、就職して間もない頃だったし、できればそんな重たい話は色々先送りにしてしまいたかった。

 

しかし、予想外に病気の進行が早かった。
そして、あまりじっくり向き合ったり考えたりする暇もないまま、”選択"の時が来てしまった。


「呼吸がもうすぐ止まるかもしれない」
という報せが入り、当時働いていた東北から慌てて新幹線に飛び乗った。
それから実家のある神戸までの道中、初めて私は患者家族として、この「究極の選択」に向き合うことになったのである。
(どう考えても遅いのだが、離れて暮らしていたのもあったし、もともと私たちはそういう家族だった)

 

母はちょうど還暦を迎える年で、この国における平均寿命と比べると、死ぬのには若すぎる。
だけれど、世間的には孫のいるおばあちゃんだし、もっと早くに亡くなる人だって山ほどいる。
私自身、大変慎ましくはあるが、母がいないと成り立たないような生活を送ってるわけでもないし、私の世代で親が亡くなることはそんなに珍しいことでもない。

 

もし今、母が死んだら。


私は悲しいだろうか?困るだろうか?
「生きさせてあげれば良かった」と後悔するだろうか?

 

考えてみたけれど、全然よくわからない。
よくわからないというのは、別に悲しくないとか困らないとかそういう意味ではなく、それが「患者家族としての私の意思」にどう影響するのかが想像できなかった、ということだ。

「悲しいから生きて欲しい」とか、「辛いけどしょうがない」とか、そういう問題なのだろうか、これは。


とはいえ「呼吸器をつけない」と言った母の想いは、痛いほど理解できていた。
家族や周囲に迷惑をかけたくないとか、
子育ては大体もう終わってるし役割は果たしたからとか、
動かない体で生きててもしょうがないとか色々言っていたが、全部実感を伴った本当の理由だと思う。
全てが切実で、どれ一つとしてくだらない理由はない。

 

でもそれで、「だから呼吸器はつけません」と言われて、「はいそうですか」と受け入れてしまっていいものか。
そりゃALSの体で生きるのは、どう考えたって辛いだろう。私だって絶対に死にたいというと思う。

だけど、こんな感じで終わってしまっていいんだろうか


母の死が間近に迫って初めて、急激に、わからなくなったのである。


普通は、「家族だからなんとか支えてあげなきゃ」とか思うのかもしれない。
あるいは、「家族として責任が持てないから…」と思い悩み苦しむのかもしれない。
逆に「家族だろうが一切私は知りません!うちは個人主義なんです!」と突き放す人もいるかもしれない。

 

自分は、そのどれでもない、と思った。
「家族として云々」とも、「家族だろうが知らん」とも、簡単に考えることができなかった。

 

そんな私のきわめて曖昧な感覚を無視するかのごとく、世間は当たり前のように「家族という枠組み」を絶対視する。
そして、家族に「セーフティネット」かつ「意思決定機関」というデカすぎる役割をあまりに簡単に押し付けてくるものである。


でも、今まさにデッドオアアライブの人間(母)を前にして個人的な家族論を展開していてもしょうがない。

とりあえず巻き込まれた人間としてできることはしたほうがいい、と思った。
とはいえ、ノリとかテンションで決めていいことでもない。


そんなこんなでひたすら葛藤を続け、新幹線の窓際の座席で景色を見る余裕もなく、あまりにもヘビーな問題に打ちひしがれながらスマホをいじっていた時、不意にとあるWebサイトに出会った。

 

https://landing-page.koyamachuya.com/serikafund/

 

「せりか基金という、ALSの新薬開発のための基金のサイトだ。


なんだか急にCMめく文面。いや、決してCMではない。


漫画『宇宙兄弟』に出てくる「せりか」というキャラクターの名前を冠した基金なのだが、作中での「せりか」は、父をALSで亡くした経験から宇宙空間でALSの新薬の開発研究をするために宇宙飛行士になった、というキャラクターである。そして、作中で彼女はあらゆる試練を乗り越え、ISSで実験を成功させる。
そんな彼女の夢を現実のものにしようというコンセプトで、2017年からスタートしたのがせりか基金である。

 

当時の私はそんなことを知らず、宇宙兄弟を読んだこともなく、ただ「治療薬の開発」という言葉に驚いて、思わず釘付けになった。

 

ALSは原因不明、進行性で治療法なしが長年の常識だった。
そんな、"神が人類に与えた最大の試練"とも言われるALSという病だが、今やこんな人気漫画が手を上げて開発費を集めるくらい、多くの人が注目している病気なのだとその時初めて知った。

 

それまで現実から逃れ続け、ALSのこともろくに調べようとしていなかったのだが、土壇場で出会った情報に気持ちが動いた。

 

「もしかしたら、治るのかもしれない」

 

...いや、実際にはそんなに楽観的に考えたわけじゃない。
たとえ今この瞬間に薬ができたとしても、実用化までには何年もかかる。
そして進行を止める薬ができても、動かなくなった部位を再生できる薬はまだまだその先だろう。その頃母はもうこの世にいないかもしれない。

 

だけど、いろいろ調べているうちに、同じように薬ができるのを待ち生き続けている人、努力の末に不自由な体でも幸せに過ごせるような生活を作り上げた人、いろんな人がいることを知った。


希望を持つことを許されている」のだ、と思った。
撤退戦のごとく、失うことばかり考えずに、前向きに生きても良いのだ。
そう、誰かに言ってもらえた気がした。

 


そういうわけで、私が母に伝えることは決まった。
それでも母が「呼吸器をつけない」という意思が固いなら仕方ない。
仕方ないどころか、別にそれでもいい。

 

私個人の気持ちが伝わるだけでもきっと十分だ、と勝手に納得し、その勢いのまま母に会い、「生きてもいいと思う」と伝えた。
すると、あれだけ「死ぬ」と言っていた母も、酸素マスクの下の表情は少し嬉しそうだった。

 


​そして。

なんだかんだあって、今は色々な人の力を借りながら、母は呼吸器とともに生活をしている。


あの時私が何も伝えていなければ、きっと今頃母はいない。
そう思うと、大変なことをしてしまったようにも感じる。

 

母はどうだか知らないが、私は一度も後悔はしていない。

 

呼吸器をつけるかどうかは「ノリとかテンションで決めていい問題じゃない」とか書いたが、振り返ってみればほとんどノリとテンションだった気がする。
ここまでどう頑張っても論理的な文章にならないので、結局ノリとテンションでしかなかったのだろう。


今思っても、娘としてなのか、個の人間としてなのか非常に曖昧なところでの判断だった。
結果的にそれで母は今も生きていて、私もゆっくりではあるが徐々に普通の生活に戻れつつある。

まあ、何だかよくわからないが多分これで良かったのだろう、と思う。

 

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ちなみに今年に入ってから、ALSの薬や治療に関するニュースをよく見かけるようになった。


以下、今年見かけたものだけでもまとめてみた。
調査不足で載せられてないものもあるかもしれないが、日夜研究を続けている方々には本当に頭がさがる。

1日でも早く、薬が実用化されることを願います。


2018.5 東工大、ALSの一因ともなるストレス顆粒の消失を促す酵素を発見

2018.5 筋萎縮性側索硬化症の異常凝集体を除去する治療抗体の開発に成功―ALSの根治治療への道を開く―

2018.7 メディシノバ---サブグループ解析データ発表。ALSに対して、MN-166が症状を改善しうる可能性を確認

2018.7 パーキンソン病とALSの遺伝子治療、来年にも治験…数年後の治療薬実用化目指す

2018.7 ALS発症機構に基づいた治療薬の基盤を開発

2018.8 ALSの症状改善=幹細胞を静脈点滴-京都のNPO

2018.10 iPS細胞使って発見、既存薬がALSにも効果

2018.12. ALSに対するiPS細胞創薬に基づいた医師主導治験を開始