春なのに、お別れですか
本日、家の近所のとある窓口に呼び出されたので行ってみたら、
これまでずっと母を担当してくれていたケアマネージャーから「契約を解除したい」と申し出があった。
というか、一方的に解除された後の事後通達だった。
と、いうことで、来月末までに新しいケアマネを見つけなければならない。
タイトルの通り、春なのにお別れです。涙はこぼれないけど。
そんな感じで、冒頭からやや衝撃的な事実を述べてしまった。
が、先んじて申し上げておくと、ここで個人攻撃や事業所攻撃をする気持ちは全くない。
ワーワー騒ぐこともできるっちゃできるが、冷静に胸に手を当てて考えずとも、話題にしたいのは全くそこじゃないと感じる。
対応に不誠実な部分もあると思いはしたが、私も母も今のケアマネが辞めること自体について別に大きな不満はなく、むしろ向こうから辞めると言ってくれたので手間が省けてよかった、ぐらいの気持ちである。
ただ、「別に怒ってないから」とかいう個人の感情の問題でALL OKにしていいかというと、違うように思う。
ここに至るまでに様々なハレーションがあり、それは決して個人の問題に帰属されるだけのものではなかったし、そもそもこういった出来事が起きる構造・システム自体に改めて疑問を感じた。
ので、記事を書くことにした。
上述の通り、契約解除に至るまで話し合いの場は特に設けられずで、突然結論だけ叩きつけられたような形なのだが、逆にいうと先方にとって、我々はそこまで「ややこしい客」だったわけである。
向こうの論理で言えば、これはフェアな取引な訳だ。
じゃあなぜ、彼女たちにとって我々は「ややこしかった」のか?
(いや、もともとがややこしい人間だとかではない、はずです。 多分...)
シンプルにいうと、私たちは「専門外」だからである。
先方はもともと圧倒的に母数の多い介護保険のサービス事業が専門で、
「重度訪問介護とかよくわかりません!」
「在宅で24時間他人介護?なんじゃそりゃ?」な人たちであった。
ただでさえ介護業界の圧倒的リソース不足の世の中にあって、24時間他人に入ってもらい家族は介護しないと主張しているのだから、向こうはたまったものじゃなかっただろう。
(それでもことさらそれをアピールしてきたのは、プロとしてどうかと思ったが…)
前回までの記事でもなんとなく触れたが、ALSは重い身体障害を伴うので、
患者は「障害者自立支援法」のもとで主な支援を受けられる。(24時間他人介護に必須な重度訪問介護もこれに当たる)
ただ、ALSなどの特定疾病の場合は、本来65歳以上の高齢者がメインの「介護保険法」で規定される支援も、あわせて受給する必要がある。
(参照:特定疾病の選定基準の考え方|厚生労働省)
ここでの私の問題意識は、
①介護保険の専門職であるケアマネージャーは、障害者福祉はマストじゃない(のに担当についてしまう)
②障害福祉の対象者でも、介護保険での支給を優先的に使い切る必要がある
③介護保険をMAXで使うというケアプランが障害者の生活に合わない(場合がある)
の3点に主に集約される。
そもそも「ケアマネージャー」という職種は、介護保険制度の論理で動く。
数多ある介護サービスを利用者にあわせて組み合わせ、ケアプランを作成・提出するのが主な仕事な訳だが、障害者を支援する制度については上述の通り専門外である。
なのに、介護保険の対象者であるという理由で、ほぼ専門外の障害者が顧客としてあてがわれてしまうのも上述の通りである。
それでも私たちは、介護制度についての専門知識も全くないし、合わなかろうと知らなかろうとプランを作成するのはケアマネの仕事だし、何かあった時頼る人はケアマネしか知らないのだから、 頼るしかなかった。
だけどこれ、向こうからしたら結構とばっちりじゃないのか?と、冷静に思うのは私だけだろうか。
もちろん、専門外だったとしても勉強すれば良いことだし、利用者の生活を良くしたい一心で動いている立派なケアマネージャーさんも存在するだろう。
今回の件は「ケアマネの努力不足」で説明できる部分はあるのかもしれない。
だけど学校教員などと同じで、業務の線引きが明確ではないのをいいことになんでも押し付けていいわけじゃない。
縦割りな仕組みのおかげで不便を被っているのに、ただの「勉強不足」だけですませるようでは業界は変わらないし、著しい格差が生まれてしまう。(現に生まれている)
昔の人ほどそういう根性論的な論理で個人を貶めるのが好きな人が多いようだが、なんとなく腑に落ちないのはそこである。
個人の自己責任で片付けるのはもう時代に合わない気がするし、余計な軋轢を生むし、結果誰も幸せにならない。
今回のことは、ALSと介護保険の折り合いの悪さに改めて頭を悩ませた事件でもあった。
障害者福祉と介護保険のバッティングについては、「65歳問題」というテーマですでに議論はされているが(参照:みんなの介護)、私たちが今困っているのは金銭的なこととか移行期におけるサービスの内容ではなく、もっと根本的に「頼っていい人」が誰なのかわからん!ケアマネじゃないなら誰なんだ!ということである。
とはいえ、"絶対的に頼れる一人"を求めるのではなく、分散させていくべきだとは思う。
ゼロから考えるのはもうしんどいので、もう少し経験のある専門職の人が入って連携してくれたら楽なのになあと思うばかりである。
前例も少ないし、頼れる人なんていないという前提で今まで好き勝手に動いてはきたが、それがスタンダードになるのはちゃんちゃらおかしい。
異性よりも同性からのパワハラが時に深刻であるように、同じ問題を抱える人たちに対して「自分で頑張れ」というだけではいけない気がする。
数は少ないかもしれないが、これからも絶対に病気は無くならない。
誰だって明日発症するかもしれない。
私たち家族の問題だけじゃない気がするんだよなあ。
と、しみじみ考える夜。
インクルーシブな社会についてもう少し勉強したくなった。
また気まぐれに更新します。