ALS若者ケアラーのblog

ALS患者の母を持つ20代若者介護者のblogです。

きらいな言葉

今日は夜勤に入っている。

寝ている母を横目に、久々の投稿。

 

ところで、私には2年前、若年介護者としてのスタートを切ってから、

今日までずっともやついていたことがある。

 

それは、介護に入る私と母を見比べて、

「娘産んでおいてよかったねえ〜」

とか言ってくる奴マジ何なん?ということである。

 

もはやここは言葉を選ばずにストレートに言わせてもらう。

何回言われたかなんていちいち覚えていないが、結構な人数に言われた。

そして、これを言ってくるのはもれなく全員おばさんである。

 

私も数年後には世間一般のおばさんと呼ばれるような年になっていくが、

こんなクソみたいなことを言うおばさんになるくらいなら今すぐに唇をまつり縫いして欲しいくらい、強烈にこの言葉が気にくわない。

 

もういい大人なので、言われたからってその人に辛くあたったり嫌いになったりしないが、

逆に、なんの悪気もなくその言葉を言わせてしまう社会をつい憂えてしまう。

 

そう、言う側にはなんの悪気もない。

お茶でも飲みながらまったり世間話、のうちの一部でしかない。

 

でも、私はこんなにも強く違和感を感じている。

そのズレについて考えていたら、ふと記事を書きたくなった。

 

 

 

なぜ「娘産んどいてよかったねえ」が嫌いなのか、考えてみた。

 

大前提として、私は「娘だから」母を介護しているわけではない。

私には兄がいるが、兄は男で、私は女だから、私が母を介護しているのではない。

 

色々な事情がある。

「娘としての義務」なんて微塵も思っていないのに、勝手にその前提で話を進められることが、飽きずに無性に腹立たしい。

 

 

 

「娘産んどいてよかったねえ」には色々な問題点が含まれている。

 

娘を介護の道具として見ているように感じられること。

それを同じ女性が言ってしまうという事実。

そもそも、なぜ娘が介護しないといけないのかという疑問。

 

いろんなことがこんがらがって怒りが増幅する。

 

だけど、そこを解きほぐしていくと、多分、「私」がこの言葉を嫌いな明確な理由は一つだ。

 

母がALSになったこと、

その過程であったつらいこと、たくさんの葛藤。

ちっぽけで個人的かもしれないけれど、私という一人の人間にとっては重要な出来事であり成長過程でもあった色々なことを、

よく知りもしない誰かに「娘だから」で片付けられるのは、なんかどうも気にくわない。

 

それだけははっきり言える、と思う。

「なんか」とか言ってる時点ではっきりはしてないんだけど。

 

 

息子には息子の、娘には娘の、どちらでもない人にはどちらでもない人の、一般的な苦労はある。

でも私は、個の目線を大事にしたい。

 

 

ついでに言うと、私は世の中の女性や若年介護者代表を気取るつもりは全くないし、なれるとも思っていない。

 

「娘(嫁)に世話してもらおう」と安易に考えている親、

「妻に介護をお願いするから僕は親が病気になっても何もしません」と居直る男たち、

それを甘んじて受け入れてかいがいしく動き回る女性たちを仮想敵のようにして、

ここで何かを主張するつもりもない。

 

 

 

ただ私は、ただただ私は、

みんなで考えたい。

「みんな」が誰を指すのか、まだちょっと曖昧だけど。

 

今回私が憤りを感じていることの根っこは、きわめて個人的なことだと思う。

 

そういう、それぞれの個の目線で起きる色々な事柄について、思いを馳せたい。

謙虚に想像して、センシティブなこともあえて遠ざけたりせず、

答えが出ないことにも向き合って、みんなでとことん考えたい。

そのことが、きっと色々な人を救うし、色々な人の人生を豊かにすると思う。

 

 

置かれた環境、いろんな登場人物、個人の価値観、そのほか諸々の要因が折り重なって、現実は現れてくる。

 

きちんとそういうことを普段から想像できる社会であれば、

「娘産んどいてよかったねえ」なんて安直な言葉がはびこったりしないはずだ。 

 

このブログだって、一応「ALS若者ケアラーのblog」とうたってはいるが、

私自身の生活の中から一般的なものを取り出しても、残りの説明できない残差の部分の方が圧倒的に大きい(最近更新が滞っていたのもそれである)。 

 

若年介護者の代表を気取る前にまず、一人一人の人生を深く想像できる自分でありたい、と思う。

 

 

誰かと語り明かしたい朝の4時。