ALS若者ケアラーのblog

ALS患者の母を持つ20代若者介護者のblogです。

きらいな言葉

今日は夜勤に入っている。

寝ている母を横目に、久々の投稿。

 

ところで、私には2年前、若年介護者としてのスタートを切ってから、

今日までずっともやついていたことがある。

 

それは、介護に入る私と母を見比べて、

「娘産んでおいてよかったねえ〜」

とか言ってくる奴マジ何なん?ということである。

 

もはやここは言葉を選ばずにストレートに言わせてもらう。

何回言われたかなんていちいち覚えていないが、結構な人数に言われた。

そして、これを言ってくるのはもれなく全員おばさんである。

 

私も数年後には世間一般のおばさんと呼ばれるような年になっていくが、

こんなクソみたいなことを言うおばさんになるくらいなら今すぐに唇をまつり縫いして欲しいくらい、強烈にこの言葉が気にくわない。

 

もういい大人なので、言われたからってその人に辛くあたったり嫌いになったりしないが、

逆に、なんの悪気もなくその言葉を言わせてしまう社会をつい憂えてしまう。

 

そう、言う側にはなんの悪気もない。

お茶でも飲みながらまったり世間話、のうちの一部でしかない。

 

でも、私はこんなにも強く違和感を感じている。

そのズレについて考えていたら、ふと記事を書きたくなった。

 

 

 

なぜ「娘産んどいてよかったねえ」が嫌いなのか、考えてみた。

 

大前提として、私は「娘だから」母を介護しているわけではない。

私には兄がいるが、兄は男で、私は女だから、私が母を介護しているのではない。

 

色々な事情がある。

「娘としての義務」なんて微塵も思っていないのに、勝手にその前提で話を進められることが、飽きずに無性に腹立たしい。

 

 

 

「娘産んどいてよかったねえ」には色々な問題点が含まれている。

 

娘を介護の道具として見ているように感じられること。

それを同じ女性が言ってしまうという事実。

そもそも、なぜ娘が介護しないといけないのかという疑問。

 

いろんなことがこんがらがって怒りが増幅する。

 

だけど、そこを解きほぐしていくと、多分、「私」がこの言葉を嫌いな明確な理由は一つだ。

 

母がALSになったこと、

その過程であったつらいこと、たくさんの葛藤。

ちっぽけで個人的かもしれないけれど、私という一人の人間にとっては重要な出来事であり成長過程でもあった色々なことを、

よく知りもしない誰かに「娘だから」で片付けられるのは、なんかどうも気にくわない。

 

それだけははっきり言える、と思う。

「なんか」とか言ってる時点ではっきりはしてないんだけど。

 

 

息子には息子の、娘には娘の、どちらでもない人にはどちらでもない人の、一般的な苦労はある。

でも私は、個の目線を大事にしたい。

 

 

ついでに言うと、私は世の中の女性や若年介護者代表を気取るつもりは全くないし、なれるとも思っていない。

 

「娘(嫁)に世話してもらおう」と安易に考えている親、

「妻に介護をお願いするから僕は親が病気になっても何もしません」と居直る男たち、

それを甘んじて受け入れてかいがいしく動き回る女性たちを仮想敵のようにして、

ここで何かを主張するつもりもない。

 

 

 

ただ私は、ただただ私は、

みんなで考えたい。

「みんな」が誰を指すのか、まだちょっと曖昧だけど。

 

今回私が憤りを感じていることの根っこは、きわめて個人的なことだと思う。

 

そういう、それぞれの個の目線で起きる色々な事柄について、思いを馳せたい。

謙虚に想像して、センシティブなこともあえて遠ざけたりせず、

答えが出ないことにも向き合って、みんなでとことん考えたい。

そのことが、きっと色々な人を救うし、色々な人の人生を豊かにすると思う。

 

 

置かれた環境、いろんな登場人物、個人の価値観、そのほか諸々の要因が折り重なって、現実は現れてくる。

 

きちんとそういうことを普段から想像できる社会であれば、

「娘産んどいてよかったねえ」なんて安直な言葉がはびこったりしないはずだ。 

 

このブログだって、一応「ALS若者ケアラーのblog」とうたってはいるが、

私自身の生活の中から一般的なものを取り出しても、残りの説明できない残差の部分の方が圧倒的に大きい(最近更新が滞っていたのもそれである)。 

 

若年介護者の代表を気取る前にまず、一人一人の人生を深く想像できる自分でありたい、と思う。

 

 

誰かと語り明かしたい朝の4時。

 

「デスハラ」について

今日はちょっと趣向を変えて、ネットで見つけた記事についての投稿。

不勉強な部分も多いのだが、現時点での考えを記録しておきたい。

 

【デスハラ】安楽死が容認された日本を描いたというツイッターの漫画が話題に!これでも安楽死の合法化を望む?

https://snjpn.net/archives/136086?fbclid=IwAR3DLkUcb7CrCK4Wy0duR_GFm2bQyzIvOfSaBjrtHN7uH72UPoZ35B99WSY

 

「デスハラ」、というパワーワードに思わず反応してしまった。

 

前提として、私個人の意見としては、安楽死は「反対に近いケースバイケース」だと思っている。

この前のNHKスペシャルで、積極的な安楽死を選んだ日本人女性のドキュメンタリーをやっていたが、彼女の死が許せないものだと私は思わない。

 

極めて個別性の高い、1つ1つのケースを慎重に、ものすごく色々な角度から眺めてないと、とてもじゃないが判断がつかないと思う。(当たり前だが)

 

これは、「どんなことがあっても自殺はダメだ」といった方向性の話とは、また別の切り口で捉えるべき問題だ。

 

 

例えばよく、認知症で本来のその人らしい思考や判断ができなくなってしまった人たちのケースなどを一括りにして「安楽死を認めるべき」という人がいるが、それはあまりに過激で危険な思想だと感じる。

 

中には、先述の女性のように、自分自身や家族がそういった過酷な状況に置かれたことで「認めて欲しい」と訴えている場合もあるが、それはあくまで個別のケースの問題にとどめておく慎重さも(あるいは受け取る側がそう捉えることも)必要であり続けるのではないか、と思う。

安楽死を判断するための要因は複雑に絡み合っていて、安易に一般化するのは危険だ。

 

なんにせよ、「迷惑をかけずに潔く生を終える」vs「助かる見込みのない命を引き延ばす」という対立構造に単純化して、命の問題をとらえては絶対にいけない。

それは、今のところ安全圏(と言っていいのかわからないが)にいる人たちの命や、人権や、安心な生活をも脅かす思想だからだ。

 

 

ALS界隈の人たちが「安楽死」について発信しているのをよく見かけるが、彼らのいう通り、どちらかの枠に収まらないケースは無限にある。

なのに、「どちらかしかいない」という構造に捉えられてしまうことで、そのぶん今は「他人ごと」である人たちが、いきなり安楽死問題の当事者になってしまう可能性は高くなる。

 

 

要は、私たちが生きる社会の側の受け入れや生活向上のための制度・インフラ諸々が整えば、今後も含め「積極的な死」を考えなくて済むような生活を実現できる層がたくさんいる(ALS患者はその端的な一例と言える)。

そういった社会、「どんな風になってもあなたは生きていていいんだ」と社会が全力で応援できる環境を工夫して創っていくことを本来は優先すべきで、尊厳死安楽死の議論はそのあとだ、と。

 

多くの現場に触れたわけではない私は、大それたことを言うのは気がひけるが、個人としては私も、上記のようなことを思う。

 

 

重ねて大げさに言うのであれば、「積極的な死」をすすめられるほど、 社会は人の「積極的な生」に対して責任を果たしきれていないのではないか。 

死ぬ権利と言えば確かに聞こえはいいのだが、まずは予防医療、介護予防、技術の進歩、その他いろいろな工夫や知恵によって解決できる部分の割合をどんどん大きくしていくことが大事だ。

 

例えば、かなり介護負担が重めとされている認知症患者の中にも、過ごしている環境によって症状の表れに違いがみられるといったことがある。

そういった話を聞くと、本来その人が持っているはずの力を、私たちの無理解によってないがしろにするようなことがあってはならないと強く思う。

 (なので、少しずつ良事例を作ってお互い学びあっていくべきだ)

 

 

私自身、母が病気になる前は、のんきにも「人間、生まれるときは選べないんだから、死ぬときくらい自分で選びたいなあ」なんて考えたこともあった。
ただ、今考えればそれはただの言葉遊びみたいなものだ。

 

よくよく考えたら、純粋な意味で「自分で選ぶ」、またはそれに限りなく近い形で選択することなど、本当に可能なのか?

 

「デスハラ」という4文字はこの問題を端的に表しているように思う。

 

前にも書いたが、ALS患者の7割は人工呼吸器をつけないで亡くなる。

この数値だけ見ても、今人工呼吸器をつけて生活している人も含め、社会に十分なリソースがないせいで「緩やかなデスハラ」にあった人は多いのではないかと推測できる。

 

人の意思は、純粋にその人の内から湧き上がった想いだけで決まるのではない。

(特にすでに安楽死が認められていたり延命治療のない諸国に比べ、日本人は特にその傾向が強いというのは各所で言われている)

 

日本に、積極的な死が容認されるようになった社会が訪れたとして、何が起きるか。


確かに今現在、病気などで大変苦しんでいる人にとって、何らかの救いになる面は大いにあるかもしれない。


だけど、制度として認められることによって、

自身や大切な人の命が脅かされたり、不本意な形で死を選ばされることはないと言えるか。

「生きたい」という気持ちを無視され、社会から死を選ばされることの恐怖や理不尽さを感じずに済むと、本当に言えるのか?

 

生死に関わる制度の設計をする側の人たちは、これからも引き続き慎重に進めていってくれるであろう(と信じたい)が、一般の人たちの意識はどうなのだろうか?

上記に挙げた漫画がバズっているのは、「安楽死」に対する一般的な考えに対しての強い問題提起として成り立っているからだろう。

 

制度が人の命を左右する前に、社会が人を殺していいものか、という。

 

ただ、安楽死賛成派の人の中にも、グラデーションはあるし、上記の漫画によって考えが多面的に深まった人もいるだろうし、安易に「安楽死擁護派」vs「反対派」に単純化して個人の考えを否定するのも違う。

 

私たちは、まず安楽死問題の当事者となる人たちを少しでも減らせるように包摂的な社会の実現を目指していきながら、

それでも直面してしまう人たちに対してはどこまでも慎重に、丁寧に、想像力を働かせておかないといけないと思う。

 

参考:

https://kaigonews.joint-kaigo.com/article-10/pg323.html

https://abematimes.com/posts/3736653

https://www.2kaime.com/entry/2017/11/23/anrakushi

https://kaigonews.joint-kaigo.com/article-10/pg323.html

春なのに、お別れですか

 

本日、家の近所のとある窓口に呼び出されたので行ってみたら、

これまでずっと母を担当してくれていたケアマネージャーから「契約を解除したい」と申し出があった。

というか、一方的に解除された後の事後通達だった。

 

と、いうことで、来月末までに新しいケアマネを見つけなければならない。

タイトルの通り、春なのにお別れです。涙はこぼれないけど。

 

 

そんな感じで、冒頭からやや衝撃的な事実を述べてしまった。

が、先んじて申し上げておくと、ここで個人攻撃や事業所攻撃をする気持ちは全くない。

ワーワー騒ぐこともできるっちゃできるが、冷静に胸に手を当てて考えずとも、話題にしたいのは全くそこじゃないと感じる。

 

対応に不誠実な部分もあると思いはしたが、私も母も今のケアマネが辞めること自体について別に大きな不満はなく、むしろ向こうから辞めると言ってくれたので手間が省けてよかった、ぐらいの気持ちである。

 

ただ、「別に怒ってないから」とかいう個人の感情の問題でALL OKにしていいかというと、違うように思う。

 

ここに至るまでに様々なハレーションがあり、それは決して個人の問題に帰属されるだけのものではなかったし、そもそもこういった出来事が起きる構造・システム自体に改めて疑問を感じた。

ので、記事を書くことにした。

 

 

上述の通り、契約解除に至るまで話し合いの場は特に設けられずで、突然結論だけ叩きつけられたような形なのだが、逆にいうと先方にとって、我々はそこまで「ややこしい客」だったわけである。

向こうの論理で言えば、これはフェアな取引な訳だ。

 

じゃあなぜ、彼女たちにとって我々は「ややこしかった」のか?

 

(いや、もともとがややこしい人間だとかではない、はずです。 多分...)

 

 

シンプルにいうと、私たちは「専門外」だからである。

先方はもともと圧倒的に母数の多い介護保険のサービス事業が専門で、

「重度訪問介護とかよくわかりません!」

「在宅で24時間他人介護?なんじゃそりゃ?」な人たちであった。

 

ただでさえ介護業界の圧倒的リソース不足の世の中にあって、24時間他人に入ってもらい家族は介護しないと主張しているのだから、向こうはたまったものじゃなかっただろう。

(それでもことさらそれをアピールしてきたのは、プロとしてどうかと思ったが…)

 

 

 

前回までの記事でもなんとなく触れたが、ALSは重い身体障害を伴うので、

患者は障害者自立支援法のもとで主な支援を受けられる。(24時間他人介護に必須な重度訪問介護もこれに当たる)

ただ、ALSなどの特定疾病の場合は、本来65歳以上の高齢者がメインの介護保険法」で規定される支援も、あわせて受給する必要がある。

(参照:特定疾病の選定基準の考え方|厚生労働省

 

ここでの私の問題意識は、

介護保険の専門職であるケアマネージャーは、障害者福祉はマストじゃない(のに担当についてしまう)

障害福祉の対象者でも、介護保険での支給を優先的に使い切る必要がある

介護保険をMAXで使うというケアプランが障害者の生活に合わない(場合がある)

の3点に主に集約される。

 

そもそも「ケアマネージャー」という職種は、介護保険制度の論理で動く。

数多ある介護サービスを利用者にあわせて組み合わせ、ケアプランを作成・提出するのが主な仕事な訳だが、障害者を支援する制度については上述の通り専門外である。

なのに、介護保険の対象者であるという理由で、ほぼ専門外の障害者が顧客としてあてがわれてしまうのも上述の通りである。

 

 

それでも私たちは、介護制度についての専門知識も全くないし、合わなかろうと知らなかろうとプランを作成するのはケアマネの仕事だし、何かあった時頼る人はケアマネしか知らないのだから、 頼るしかなかった。

 

 

だけどこれ、向こうからしたら結構とばっちりじゃないのか?と、冷静に思うのは私だけだろうか。

 

 

もちろん、専門外だったとしても勉強すれば良いことだし、利用者の生活を良くしたい一心で動いている立派なケアマネージャーさんも存在するだろう。

 今回の件は「ケアマネの努力不足」で説明できる部分はあるのかもしれない。

だけど学校教員などと同じで、業務の線引きが明確ではないのをいいことになんでも押し付けていいわけじゃない。

縦割りな仕組みのおかげで不便を被っているのに、ただの「勉強不足」だけですませるようでは業界は変わらないし、著しい格差が生まれてしまう。(現に生まれている)

 

昔の人ほどそういう根性論的な論理で個人を貶めるのが好きな人が多いようだが、なんとなく腑に落ちないのはそこである。

個人の自己責任で片付けるのはもう時代に合わない気がするし、余計な軋轢を生むし、結果誰も幸せにならない。

 

 

 

今回のことは、ALSと介護保険の折り合いの悪さに改めて頭を悩ませた事件でもあった。

 

障害者福祉と介護保険のバッティングについては、「65歳問題」というテーマですでに議論はされているが(参照:みんなの介護)、私たちが今困っているのは金銭的なこととか移行期におけるサービスの内容ではなく、もっと根本的に「頼っていい人」が誰なのかわからん!ケアマネじゃないなら誰なんだ!ということである。

 

とはいえ、"絶対的に頼れる一人"を求めるのではなく、分散させていくべきだとは思う。

ゼロから考えるのはもうしんどいので、もう少し経験のある専門職の人が入って連携してくれたら楽なのになあと思うばかりである。

 

前例も少ないし、頼れる人なんていないという前提で今まで好き勝手に動いてはきたが、それがスタンダードになるのはちゃんちゃらおかしい。

異性よりも同性からのパワハラが時に深刻であるように、同じ問題を抱える人たちに対して「自分で頑張れ」というだけではいけない気がする。

 

数は少ないかもしれないが、これからも絶対に病気は無くならない。

誰だって明日発症するかもしれない。

私たち家族の問題だけじゃない気がするんだよなあ。

と、しみじみ考える夜。

 

インクルーシブな社会についてもう少し勉強したくなった。

また気まぐれに更新します。

 

役所へ交渉にいってきた

今日は休みを取って、区役所に行ってきた。

 

なんのためかというと、「時間数」に関する不服申し立てのためである。

 

「時間数」とは何か?

「重度訪問介護」の時間数のことだ。

行政から支給され、その時間を元に民間の訪問介護事業所と契約し、その時間ぶんだけヘルパーさんに入ってもらえるという構造になっている。

時間ごとに単価が決まっており(これらは複雑な計算式からなるので1時間なんぼとかはよくわからない)、事業所が国に申請をすることにより時間分の介護報酬を得ることができる。

 

この「時間数」によって、月に何時間、母のところにヘルパーさんが来てもらえるかが決定する。

何もしなければ1年ごとの見直しになるが、然るべきところに相談をすれば途中のマイナーチェンジも可能である。

 

一般に、1ヶ月にMAX支給される時間数は24h×31日=744時間。

ALS患者は、特に人工呼吸器を装着した患者は、基本的に24時間の介護を必要とする。

食事・排泄・入浴など大体決まった時間に行われるケア以外にも、

痰の吸引・体の拘縮予防・コミュニケーション補助など、常時見守りを必要とするケアが数多くあるためだ。

また、特に独居や家族が長く家を空けている場合は、ベッド周りの掃除や食事の準備、洗濯など簡単な家事も行ってもらう必要がある。

 

この時間数に関して、支給を要する障害者・患者が必ずと言っていいほどぶち当たる問題が大きく3つある。

(1)時間数を支給してもらえない

(2)時間数が出ても、入れる人(事業所)がいない

(3)(2)の結果、せっかくもらった時間数を取り下げられる(減らされる)

 

 

今回はざっくりいうと(1)の話である。

なので、その支給に関する相談先である、最寄りの区役所へ足を運んだ。

 

 

現在、母に支給されている時間数は月に「678時間」。

上限MAXである744時間 - 678時間で、あと月に66時間足りない。

1日に換算すれば2時間ほど、ヘルパーさんのいない空きの時間ができるということである。

 

24時間介護が必要なのにもかかわらず、なぜ66時間を減らされているのか?

それは「介護保険」「医療保険」の壁である。

 

問題①「介護保険」の壁

65歳を超えると、「介護保険」のサービスを利用することが可能になる。

特定疾病であるALSの場合、40歳から介護保険の対象になる。

それは国民の権利としてもちろん必要な制度だ。

 

ただ、「介護保険」と「重度訪問介護」を同時間に併用することは基本的にNGだとされている。

そして、「介護保険」のサービスは各種サービスごとに「点数」で管理されており、

その点数を優先して使いきらないといけないというルールがある。

ここがネック。

 

どういうことかというと、

同じ「訪問介護」でも、介護保険と障害者支援(重度訪問介護)のヘルパーは似て非なる存在であり、

介護保険の枠内でやってくるヘルパーさんは、基本的には長くても90分で帰る。

加えて、見守り介護はルール上不可能。

そして介護保険は主に高齢者の介護が中心なので、ALSに必要な専門性とも微妙に、そして確かに異なる。

(喀痰吸引なんかも本来はやっていないので、無理やり資格を取ってもらっているが、事業所の中でも一部の人にしかできず、その人たちにしわ寄せがいっている状態)

つまり、ALS患者のケアという意味では制約が多すぎる

 

にもかかわらず、ケアプラン上は絶対に組み込まないといけないので、その分重度訪問を入れられない。

言葉は悪いが、ALS患者にとっては自分たちを助けたいんだか、邪魔したいんだかよくわからない制度なのである。

(うちに現状来ているヘルパーさんを否定しているのではなく、制度上の問題を指摘しているだけである)

 

端的にいえば、介護保険訪問介護なんて使わずに重度訪問介護で全部埋めたいのが本音だ。

介護保険のヘルパーさんは一般にスキルが高いが、1日何時間も一緒にいる重度訪問介護のヘルパーさんの方が、個々にあったケアを期待できるのは確かだし、信頼関係も構築されやすい。

これは個々のマンパワーの話ではなく、もはやシステムの問題である。

 

⇨この問題については、解決の方法が浮かんできた。

 別途詳述する。 

 

 

問題②「医療保険」の壁

介護保険とは別に、医療保険で受けられるサービスのうち、

母が利用しているのは(1)訪問看護・(2)リハビリ・(3)医療マッサージの3つ。

それぞれ30分〜1時間ほど、週3〜5で来ていただいているのだが、

これも重度訪問介護と重なるとNGとなる。

 

介護を経験したことがない人は、「それでよくね?」と思うのも無理はないが、現実はそう甘くない。

専門的なサービスの間にも、摘便時の補助、リハ・マッサージ時の喀痰吸引など、人員が必要である。

そもそも洗濯や掃除などの時間も確保したいので、この時間に済ませるのが合理的である。 

 

ちなみに家族である私は遠方での仕事も多く、介護要員としてカウントされていないため、ヘルパーさんの存在が不可欠である。

 

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上記①②の問題により支給時間が減らされているぶんを取り戻そうと、

今日は貴重な休みを使っていそいそと交渉に足を運んだわけである。

 

(そもそも、去年の支給時間から無断で4時間減らされたということがあり、その誠意のかけらもない対応についてもだいぶ憤っているのだが(たった4時間というなかれ)、無駄な時間を使いたくないので目的だけ伝えに行った)

 

事前にアポを取って、エビデンスのずらりと書いた台本を用意し、

顔見知りの担当者に話をしにいった。 

(まともな担当者なら、わかりやすい資料を持っていくとありがたがってくれる。資料を出した瞬間に怪訝な顔をする担当者はハズレである)

 

交渉の結果、わかったことは以下。

介護保険と重度訪問介護の併給については難しい。不服があれば神戸市保健福祉局に意見を申立てる必要

医療保険は、削ったぶんはすぐに重度訪問でカバーできる(当たり前だ)

③リハ・マッサージについては痰吸引が必要という医師の所見が必要

 

という、ものすごく微妙な結果で終わった。

 

役所の担当の人は親身に話を聞いてくれるのだが、上記の不服を解消するための権限は特に持っていない。

こちらが制度を理解した上で、区がダメなら市、県、国に改善を申立てるしかない。 

わかってはいたのだが、とりあえずめんどくさい

でも生きるためなので仕方ない。生きることはめんどくさいことだ。

 

あと、調べてわかったことは、

そもそも「医療保険と重度訪問介護の併給はできない」という法的根拠は非常に曖昧である。

市や県をすっ飛ばし、厚生労働省に直接訴えて同時併給を認めてもらったケースもあると聞く。

よって上記医療保険の壁はぶち壊せるという希望がでてきた。

役所は上には逆らえないので、今のところこれが一番有効なアプローチのように思う。

 

ということで、戦いは続きます。

 

***

 

 

ところで、なぜこの数時間にこだわるのか?

それは、家族が入る時間を極力なくしたいというのはもちろんだが、

メインの理由は「自分たちで事業所を始めたから」である。

持続可能な形で、ヘルパーさんに給料を払えなければならないからである。

 

詳しくは、長くなるので追い追い書いていこうと思う。

今日はここまで。 

 

希望があるなら

この間介護が始まって1年と書いたが、それからさらに、母が人工呼吸器をつけて1年が経った。

 

どこまで認知されているものかわからないが、ALSという病気において「人工呼吸器装着」は避けては通れないテーマである。


要は「つけるか」「つけないか」の2択なのだが、そこには単なる医療的な措置の枠を超えて、「生きること」「死ぬこと」「幸せとは何か」…など、果てしなく壮大なテーマがもれなくついてくる。

 

別にそんな、やたらめったらでかい話をするつもりはないのだが、
今回は、母が「人工呼吸器」を装着するに至ったプロセスについて振り返ってみようと思う。

 

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ALSは、運動ニューロンが侵され、全身のありとあらゆる筋肉が動かなくなっていく進行性の病である。
(内臓・血管などの不随意筋は除く)
そのため、症状が進行すれば他の筋肉と同様に呼吸筋も弱まり、いずれ呼吸は停止する

 

よって、すべての患者は「人工呼吸器」を装着するかしないかという選択を、遅かれ早かれ迫られることになる。

 

ALSの進行において呼吸器を装着することは、いわゆる”延命"のための措置ともまた異なる。
なぜなら、ガンなどと違いALS自体で「死ぬ」ことはなく、そのあとも長い長い人生が続いていくからだ。

 

呼吸器を装着すればそのあとも生きられるし、しなければ死んでしまう。
...じゃあ、「装着する」一択なのでは?
普通に考えればそう思うだろう。

 

ところが、事態はそんなにシンプルではない。

 

日本のALS患者で、気管切開をし、人工呼吸器をつけるという選択する人は約3割と言われている。
つまり7割の人が呼吸器をつけずに、自然に呼吸が止まるのを待つ(というと穏やかな感じがするが、実際の苦しみは壮絶なものだろう)ということだ。

 

この3:7という数字が、ALSという病気の残酷さを端的に示していると言っていい。

 

生きる手段はあるのに生きられない人がマジョリティなのである。
それは、たとえ呼吸ができたとしても、体が動かない辛さ、人とコミュニケーションがうまくとれない苛立ちや悲しみ、家族や連れ合いの負担、金銭的なこと……などの様々な試練や無理難題が約束されてしまっているからだ。
24時間365日、誰かの手を借りなければ生きられない未来に希望が持てるほど、強い人なんてほとんどいない。

 

しかしだからといって、積極的に死にたいと思う人はいないだろう。
でも、周りの人の気持ちも汲みながら、自分自身の生きる意味を問い直すという過酷なプロセスから逃げることはできない。

私は患者ではないので想像するしかないが、その葛藤や苦しみは耐え難いに違いない。

 

呼吸器をつけるか否かは、まさに”究極の選択”だと言える。

 

 

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先述したように、母が紆余曲折の末気管切開の手術をし、人工呼吸器を装着したのは1年前。
前回までの記事で散々介護について愚痴を垂れ流していたのだが、結果的に言えば、それはほとんど私の意向によるものだった。


母はもともとALSを発症した時から、ALS患者のマジョリティの例に漏れず、「気管切開をしない、呼吸器はつけない」と宣言していた。

 

その頃(今もだが)ぼーっとした娘だった私は、そんなもんか、と受け止めていた。
まだ母が自分の足で動き回っていた時の話だ。
私にとってはあまり現実味もなかったし、就職して間もない頃だったし、できればそんな重たい話は色々先送りにしてしまいたかった。

 

しかし、予想外に病気の進行が早かった。
そして、あまりじっくり向き合ったり考えたりする暇もないまま、”選択"の時が来てしまった。


「呼吸がもうすぐ止まるかもしれない」
という報せが入り、当時働いていた東北から慌てて新幹線に飛び乗った。
それから実家のある神戸までの道中、初めて私は患者家族として、この「究極の選択」に向き合うことになったのである。
(どう考えても遅いのだが、離れて暮らしていたのもあったし、もともと私たちはそういう家族だった)

 

母はちょうど還暦を迎える年で、この国における平均寿命と比べると、死ぬのには若すぎる。
だけれど、世間的には孫のいるおばあちゃんだし、もっと早くに亡くなる人だって山ほどいる。
私自身、大変慎ましくはあるが、母がいないと成り立たないような生活を送ってるわけでもないし、私の世代で親が亡くなることはそんなに珍しいことでもない。

 

もし今、母が死んだら。


私は悲しいだろうか?困るだろうか?
「生きさせてあげれば良かった」と後悔するだろうか?

 

考えてみたけれど、全然よくわからない。
よくわからないというのは、別に悲しくないとか困らないとかそういう意味ではなく、それが「患者家族としての私の意思」にどう影響するのかが想像できなかった、ということだ。

「悲しいから生きて欲しい」とか、「辛いけどしょうがない」とか、そういう問題なのだろうか、これは。


とはいえ「呼吸器をつけない」と言った母の想いは、痛いほど理解できていた。
家族や周囲に迷惑をかけたくないとか、
子育ては大体もう終わってるし役割は果たしたからとか、
動かない体で生きててもしょうがないとか色々言っていたが、全部実感を伴った本当の理由だと思う。
全てが切実で、どれ一つとしてくだらない理由はない。

 

でもそれで、「だから呼吸器はつけません」と言われて、「はいそうですか」と受け入れてしまっていいものか。
そりゃALSの体で生きるのは、どう考えたって辛いだろう。私だって絶対に死にたいというと思う。

だけど、こんな感じで終わってしまっていいんだろうか


母の死が間近に迫って初めて、急激に、わからなくなったのである。


普通は、「家族だからなんとか支えてあげなきゃ」とか思うのかもしれない。
あるいは、「家族として責任が持てないから…」と思い悩み苦しむのかもしれない。
逆に「家族だろうが一切私は知りません!うちは個人主義なんです!」と突き放す人もいるかもしれない。

 

自分は、そのどれでもない、と思った。
「家族として云々」とも、「家族だろうが知らん」とも、簡単に考えることができなかった。

 

そんな私のきわめて曖昧な感覚を無視するかのごとく、世間は当たり前のように「家族という枠組み」を絶対視する。
そして、家族に「セーフティネット」かつ「意思決定機関」というデカすぎる役割をあまりに簡単に押し付けてくるものである。


でも、今まさにデッドオアアライブの人間(母)を前にして個人的な家族論を展開していてもしょうがない。

とりあえず巻き込まれた人間としてできることはしたほうがいい、と思った。
とはいえ、ノリとかテンションで決めていいことでもない。


そんなこんなでひたすら葛藤を続け、新幹線の窓際の座席で景色を見る余裕もなく、あまりにもヘビーな問題に打ちひしがれながらスマホをいじっていた時、不意にとあるWebサイトに出会った。

 

https://landing-page.koyamachuya.com/serikafund/

 

「せりか基金という、ALSの新薬開発のための基金のサイトだ。


なんだか急にCMめく文面。いや、決してCMではない。


漫画『宇宙兄弟』に出てくる「せりか」というキャラクターの名前を冠した基金なのだが、作中での「せりか」は、父をALSで亡くした経験から宇宙空間でALSの新薬の開発研究をするために宇宙飛行士になった、というキャラクターである。そして、作中で彼女はあらゆる試練を乗り越え、ISSで実験を成功させる。
そんな彼女の夢を現実のものにしようというコンセプトで、2017年からスタートしたのがせりか基金である。

 

当時の私はそんなことを知らず、宇宙兄弟を読んだこともなく、ただ「治療薬の開発」という言葉に驚いて、思わず釘付けになった。

 

ALSは原因不明、進行性で治療法なしが長年の常識だった。
そんな、"神が人類に与えた最大の試練"とも言われるALSという病だが、今やこんな人気漫画が手を上げて開発費を集めるくらい、多くの人が注目している病気なのだとその時初めて知った。

 

それまで現実から逃れ続け、ALSのこともろくに調べようとしていなかったのだが、土壇場で出会った情報に気持ちが動いた。

 

「もしかしたら、治るのかもしれない」

 

...いや、実際にはそんなに楽観的に考えたわけじゃない。
たとえ今この瞬間に薬ができたとしても、実用化までには何年もかかる。
そして進行を止める薬ができても、動かなくなった部位を再生できる薬はまだまだその先だろう。その頃母はもうこの世にいないかもしれない。

 

だけど、いろいろ調べているうちに、同じように薬ができるのを待ち生き続けている人、努力の末に不自由な体でも幸せに過ごせるような生活を作り上げた人、いろんな人がいることを知った。


希望を持つことを許されている」のだ、と思った。
撤退戦のごとく、失うことばかり考えずに、前向きに生きても良いのだ。
そう、誰かに言ってもらえた気がした。

 


そういうわけで、私が母に伝えることは決まった。
それでも母が「呼吸器をつけない」という意思が固いなら仕方ない。
仕方ないどころか、別にそれでもいい。

 

私個人の気持ちが伝わるだけでもきっと十分だ、と勝手に納得し、その勢いのまま母に会い、「生きてもいいと思う」と伝えた。
すると、あれだけ「死ぬ」と言っていた母も、酸素マスクの下の表情は少し嬉しそうだった。

 


​そして。

なんだかんだあって、今は色々な人の力を借りながら、母は呼吸器とともに生活をしている。


あの時私が何も伝えていなければ、きっと今頃母はいない。
そう思うと、大変なことをしてしまったようにも感じる。

 

母はどうだか知らないが、私は一度も後悔はしていない。

 

呼吸器をつけるかどうかは「ノリとかテンションで決めていい問題じゃない」とか書いたが、振り返ってみればほとんどノリとテンションだった気がする。
ここまでどう頑張っても論理的な文章にならないので、結局ノリとテンションでしかなかったのだろう。


今思っても、娘としてなのか、個の人間としてなのか非常に曖昧なところでの判断だった。
結果的にそれで母は今も生きていて、私もゆっくりではあるが徐々に普通の生活に戻れつつある。

まあ、何だかよくわからないが多分これで良かったのだろう、と思う。

 

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ちなみに今年に入ってから、ALSの薬や治療に関するニュースをよく見かけるようになった。


以下、今年見かけたものだけでもまとめてみた。
調査不足で載せられてないものもあるかもしれないが、日夜研究を続けている方々には本当に頭がさがる。

1日でも早く、薬が実用化されることを願います。


2018.5 東工大、ALSの一因ともなるストレス顆粒の消失を促す酵素を発見

2018.5 筋萎縮性側索硬化症の異常凝集体を除去する治療抗体の開発に成功―ALSの根治治療への道を開く―

2018.7 メディシノバ---サブグループ解析データ発表。ALSに対して、MN-166が症状を改善しうる可能性を確認

2018.7 パーキンソン病とALSの遺伝子治療、来年にも治験…数年後の治療薬実用化目指す

2018.7 ALS発症機構に基づいた治療薬の基盤を開発

2018.8 ALSの症状改善=幹細胞を静脈点滴-京都のNPO

2018.10 iPS細胞使って発見、既存薬がALSにも効果

2018.12. ALSに対するiPS細胞創薬に基づいた医師主導治験を開始

ケア環境について雑記① たん吸引、マッサージ

前回の記事から趣向を変えて、

母のケアの環境について、どう試行錯誤してるか細々と書いていく。

 

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これはベッドの後ろの壁に貼った、たん吸引とマッサージ・拘縮予防についての簡単なマニュアル。

模造紙を半分に切ったサイズで、とにかく目につくようにした。

ヘルパーさんたちにも割と好評である。

 

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カニューレ(気管切開部分に挿入するプラスチックの筒)とカテーテル(吸引に使う管)の実物をわざわざ貼り付けている。

イメージしやすいからというのはもちろんだが、聞けばうちにやってくるヘルパーさんたちは、重度訪問介護の研修の時にこれらの実物を見たことがなく、「気管に直接に管を挿入して吸引すると思ってた」という人もいた。

なのでこの実物を提示すると「え!これなら大丈夫そう」となるらしい。

 

それにしても、研修では一体何を教えてるんだろう・・・・

兵庫県内では、ヘルパーが重度の患者の喀痰吸引の研修を受けられるのはおそらくそこしかない。どんなルールのもとでやってるのか知らないが、正直それでいいのか?という感じである。

実地で学ぶのが一番というのもわかるけど・・・。

 

 

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著作権フリーです。言葉省略しすぎてわかんないか・・・

 

ちなみに、ヘルパーは仕事として「マッサージ」ができない、という決まりになっている。医療マッサージやリハビリの専門の人がいるし、痛みが出てしまったりした時に責任が取れないかららしい。なので「拘縮予防」という言葉を使っている。かなりグレーな範囲だが、うちの場合専門知識は不要は範疇の話だと思うし、必要なケアなので基本はお願いしている。

 

 

 

 

 

個人差はあると思うが、ALSのケアは、色々忙しい。

 

うちはケア体制がまだ安定しておらず、人員の入れ替わりも激しいので、前回の記事で書いた通りヘルパーさんの育成コストがかなり高い状態である。

元々は全部、たん吸引もマッサージ(拘縮予防)も口頭で逐一ヘルパーさんたちに説明していたのだが、1回ではなかなか入らないし、伝え漏れも出る。

マニュアル化はケアの責任者のTO DOだ。

 

それがないと、マッサージについては手癖になるし、たん吸引については、初めての人だったらほぼ必ずパニック状態になる。 

(慣れてきたら「よっしゃ!引っかかった!」みたいな、ゲームのような感覚になるのだけど)

 

とにかく、すぐにパッと参照可能なマニュアルは必要だ。ヘルパーさんと1つ1つ一緒に確認しながら説明すれば後々彼女たちにとっても思い出せる材料が増えて、こちらの説明の手間も省ける。

色々と書ききれない細かい注意点はあるのだが、冊子型の小さいマニュアルになると読むのもめんどうだし(運用がうまくいってる事例をあまり知らない)、いっそ壁に貼ることにした。

 

こんな感じで、色々微調整しながら環境を整えている。 

 

 

 

 *

 

以下、関連して長い雑記 

 

よく重度の方の介護の求人などで、「見守り」という文言を見かける。

だけどALSの場合、意識は超絶クリアで、当の本人は体が動かせないことによる様々な不快感を自分で取り除けないことで大変な思いをしているので、本当にただじーっと「見守って」もらうだけでは困る。時々勘違いしている人がいるが。

「いやいや、何しとんねん君」と的確にツッコむ力も、ALS患者にはバリバリあるのである。

 

なので、特に何もしていないときでも、介助者に協力してもらうことはたくさん存在する。マッサージなどはその典型だ。 

 

家族介護だと、そこがかなりしんどい。

いつもどこかしら体が辛く、ほぐしたりしていないとすぐ固まってしまう上、痰もいつ上がってくるかわからない状態なので、5分と放っておけない。

なので、マジで他のことが何もできない。(洗濯とか、最低限の家事の時などは我慢してもらう)

別に慣れれば難しいことを要求されるわけではないが、家族だからそんなに話すこともないし、長時間ただただ拘束されて自分の時間が持てないのは辛い。

 

仕事はもってのほかだし、映画や本もどうせ集中できないので、自分がケアに入るときは大して集中してなくてもなんとなく楽しめるお笑い番組ばっかり見ている。

最近はアマゾンプライムM-1を第1回から全部見返した。・・・いや、ある意味有意義な時間ではあるが、心の底から見たくて見てるわけではない。歴代優勝者ではやっぱりブラマヨが一番かなとか、ジャルジャル頑張って欲しいとか、そんなことはどうでもいい。

 

同世代が汗水垂らして働いてる中、私は何をやってるのだろうと、時々思う。

 

 

とにかく、今の生活はとても続けられないので、色々策を探している。

 

人間、暇だとろくなことを考えられないようにできている。

母は今、暇なのである。

体が動かなくてもできる遊びや活動など、やったことがないのだからしょうがない。いきなり全部自分で考えろというのも酷だ。

母の外出の機会を増やす、人を家に呼びまくる、意思伝達PCを使ってできることをどんどんやる、体が動かなくてもできる社会貢献を探すなど、

今は少々チャレンジングなことでも、色んな人の手を借りて、挑戦していくしかない。

当たり前のことと、それ以上のことを、きちんと生活の一部にしていく必要がある。

 

 私もとっとと仕事に戻り、なんの気兼ねもせず自分の時間を持ちたいが、口を開けて待っていても誰も餌を放りこんではくれない。

 

呼吸器をつけて生きる選択をした母と私たちは、現状に文句を言ってばかりいる暇は、あんまりないのである。 

 

 

なんというか、ALSの介護とはそういう、相手への想像力と、人間としてよく生きたいという欲求と、ただのわがままな気持ちとの戦いだ。

  

 

重度訪問介護のヘルパーさんは、何よりも有難い存在である。

家族の代わりに、時に家族以上に母のことを思ってくれる。

現在はいろんな意味で体制が不十分だが、彼女たちがいるおかげで、母も私も周囲の人も、本当に助かっている。

 今は色々手を広げて自薦ヘルパーを探している。少しずつだが、集まってくれている。

もっと仲間を増やし、一緒に長く歩んでいける存在として関係性を作っていきたい。

 

 

引き続き、頑張ります。

 

 *

 

情報発信を兼ねたブログなので、重度訪問介護の時間数獲得と体制づくりについてとか、ケアプラン、意思伝達装置、QOL向上のための色んな便利グッズとかについても追々書いていきたいです。備忘録。

 

介護が始まって1年

母がALSになり、介護のため仕事を休職してから丸1年がたった。
 
ありがたいことに職場の理解も得て、今は段階的に復職させていただいている。
それでも完全にフルタイム復帰には至っていない状況である。
 
 
 
何かの本にあったが、ALSは「くじ」のようなものだ。確率は低いが、誰かが必ず引いてしまう。
そういう大変なくじを引いてしまった人や、それを支える人たちに対する社会のありようとか、そもそも自分にとっての幸せってなんだっけとか、困ってる人とそうでない人の境目ってなんだっけとか、
色々考えさせられた1年だった。
 
1年。
ちょうど節目だし、少しずつ振り返ってみようと思う。
 
こうして文章にすることで誰かの目に触れ、同じ立場の人にとって有益な情報になったり、安心できる材料になったりすれば良いと思うが、そういった内容はまだ先にまとめていきたい。
 
 
 
 
「ヤングケアラー」という言葉がある。家族の介護や世話を担う18歳以下の若者のことだ。
上限をさらに30歳くらいまで引き上げれば「若者ケアラー」と呼ばれ、私はそれに当てはまることになる。
とにもかくにも、要介護の人がどんと増えた近年になって、その存在に少しずつ目が向けられてきている。
平成29年度の総務省の調査では、 30歳未満で仕事以外で介護を担っている若者は13万6000人以上に上るという。
 
その中で、ALSの家族の介護を担っている人は一体どれくらいいるのだろう。
 
 
 
ちなみに基本情報として母の今の状態を述べておくと、気管切開をして人工呼吸器をつけており、今動かせる筋肉は顔の表情と嚥下のみ。食事は少し口から食べられるが、首から下はほぼ完全に動かず、寝たきりである。
他に併発した病気などもなく健康で、認知はいたってクリアだが、常にどこかマッサージをしていないと体の不快感に耐えられない。(これが難儀)
制度としては介護保険と重度訪問介護を併用しつつ、在宅で過ごしている。
夜勤の方には毎日入ってもらっているが、日勤ヘルパーがなかなかみつからないので、私も仕事のない時は1日中側にいて介助をしている。
というより、誰も介助者がいない時は仕方なく仕事をセーブして介助に入る。
 
 
周りの人たちには、何度も「大変だね」と声をかけてもらってきた。
でも多くの人には、何が本当に大変なのか、あまり伝わっていないように思う。
当然だ。逆の立場で言えば、私だって、経験してないことはわからないのだから。
何も言わずして理解してもらおうとは思わない。
だから、まず言葉にしてみようと思う。
 
 
よく言われるのが、
「若いのに介護って大変だね」
「お母さん、辛そうで大変だね」
「ゆっくり休めないから大変だね」
「将来が不安で、大変だね」
 
確かにそれも大変だ。一般的には。
でも変な話、なんだかそれも言われすぎて慣れてきた自分がいる。
 
「全然大丈夫です」とは言わないし、時々ふいに悲しい気持ちになることもある。
 
だけど、もはや同世代の一般的な「大変さレベル」もわからないし、誰だって将来は不安だし、せっかくの休みがやりたくもない仕事に毒されている人も大勢いる。
私だけが特別な訳でもない気がしている。
 
 
最近気づいたことなのだが、私が個人的に今抱えている中で最も重い悩みは、先の見えない将来でも、休みがないことによる疲れでも、同世代に理解者がいない孤独でもない。
 
「人と関わらないと生きていけなくなる環境に突然放り込まれたことによるしんどさ」なのではないかと思う。
 
どういうことか。
かなり長い愚痴のようになるが、書いてみる。
 
 
 
私個人の話から始めると、
私はもともと人と関わることが、苦手というより、好きではない方だ。
こだわりが強く、一人の時間が人より多めに必要なタイプであり、もともと家族関係も比較的希薄で、人付き合いはあっさりしている方だと思う。
 
昔から「人と人は助け合って生きている」という世界観がいまいち腑に落ちず(実際はめちゃくちゃ助けられているのだが)、どこか自分の人生を「一人で生きている」ような感覚で生きていた。
理由はよくわからないが、それだけ環境に恵まれていたということだと思う。あと堂々ということではないが、自分からあまり人を助けた記憶もない。
誰かを頼るくらいなら自分でやりたいし、周りのことも家族のこともあまり気にしない子どもだった。そのまま大人になった。
社会人としてはそれでつまずくこともあったが、だからといって持って生まれた性格はなかなか変わらない。
 
そんなどうしようもないマイペース人間が、いきなり放り込まれた家族介護の世界。
 
 
同じ人と関わるのでも、それが「仕事」だったらまだ良い。お給料というわかりやすい報酬もあるし、同じ業界であれば話の合う方も多いので、関わること自体が楽しみだったりする。
 
だけど、家族の介護ではそうはいかない。
仕事は「公」であるが親の介護は「私」である。今まではのうのうと自分の世界に閉じこもっていれば済んでいた「私」の領域に、いきなり多数の人たちが流入してくることになる。
現在母のケアに携わってくれている介護職、医療職だけでも数十人ほどの関係者がおり、毎日自宅を出入りしている。彼らも仕事なので、別にこちらのプライバシーが著しく侵されるようなことはないが、それでも少しずつ気は使う。
しかも関わる人ほぼ全員、世代が上の人たちばかりで、黙ってても話が合う人は少ない。でも頼るところは頼らないとやっていけないし、時にはこちらから教え伝える必要も出てくる。
「自分、人付き合い苦手なんで・・」などとスカしたことは言っていられない。人間と関わらないで介護というミッションをこなすのは、土台無理である。じゃないと、本当に自分が潰れてしまう。
 
そこで今までの、「知らない人と関わるのダルいっす…」的要素丸出しだった甘ちゃんの自分を、大いに方向転換する必要が出てくる。
自分自身も大部分のケアを担いつつも、自分から手を広げ、なるべく人を頼り、感謝を伝え、曖昧にせずにはっきり意思を示し、多方面に気を配り、自分だけじゃなく全体的な「場」が快適であるように動く。とにかく今の生活を良くしたい、その一心で、今までの閉じた自分と日々格闘している。
 
ただ、どれだけミッションのため奮闘しようが、当たり前だけど給料なんて出ない。「やりがい」という名の無形の報酬も、あまりない。正直、ほぼ削り取られるのみの苦行である。(苦しんだぶん成長するとかそういう話は一旦脇に置いといて)だけど、やらないという選択肢はそこにはない。
 
現在、介護は確かに、ある程度プロに任せることができる。と言っても、どんなプロでも相手は人間だ。まったく非の打ち所のない、パズルのピースがぴったりはまるかのごとく機能できる完璧なプロフェッショナルなんていない。何かしら、足りないのが普通である。人としての相性だってある。そんなことは当たり前で、今さら不満には思わない。
 
大変なのは、そんな多種多様な人々に対し、お茶でも飲みながら世間話をするだけならまだしも、込み入った話やうんざりするほど細かい(ただ無視できない)依頼、時にはクレームのような事柄も、この先も続く関係性を見越して事を荒立てずに伝えなければならないということだ。
しかも、自分のことではなく他人(母)のことで
 
呼吸器をつけたALS患者は自分の意思を正しく汲み取ってもらうのが大変なので、ある程度そのスキルの身についた私が、母のスポークスマンとしての機能を担わねばならないのである。
母のことはまあ大事だが、私は自分の体裁も守りたい。嫌われるのはしょうがないが、気まずいのは嫌だ。細かいこと一つ一つに言うのか言わないのか迷うし、「なんでこんなこといちいち言わなきゃいけないんだよ」と、母に対しても、介助者の方々に対しても、思うことはたくさんある。
もはや、どっちを向いていいのかわからなくなることもしばしばだ。
(私は母だからといって特別にかばうような扱いはしないし、母もそんなことを望んでいないと思う)
 
あまり議論にはのぼらないが、家族の介護というのはそういう、人同士の微妙な調整もミッションに含まれている。
コーディネーターのようなものだ。
繰り返すが、その役割を担うのは「私」的領域においてである。
仕事のように、苦しければ最悪辞めて次を探せばいいという類の話ではないし、割り切って淡々と処理できるほど冷徹になりきれない自分がいる。
「私」的領域からは逃げられないのである。
 
 
「親の介護をしています」と話すと、
「一人で抱え込まないで、あらゆる支援を活用してほしい」
「誰かに任せてもいいんだよ」
と、プロの人からそうでない人まで、ほとんどの人たちにそう声をかけられる。
 
確かに、それはマジでごもっともだし、それが常識になりつつあるというのは、考えてみればすごいことである。そして1ミリも間違ってはいないと思うので、私も最初からずっとそれを意識して動いている。
 
ただ、恐れながら声を大にしていいたいのだが、「支援を受けること」は決してゴールなのではない。その先にも果てしなく長い道が待っている。支援の枠だけ与えてもらっても、その中身が充実しないのでは意味がない。「支援を受けられること」と「安心して任せられること」の間には、依然として大きな隔たりがあるように思う。つまり、要は人の質の問題である。
 
ここまで1年ほど介護をしてきた経験から言うと、ヘルパーさんにしろ看護師さんにしろ、最初から全てを任せられる人は皆無である(ALSはそもそも母数が少ないのだから、介助できる人が育っていないのは仕方ない面も大いにある)。
特に重度訪問介護は未経験者の方が多いし、多少経験があったとしてもほぼ関係ない。個々の病や障害のありようによって必要なケアが大きく変わるので、むしろ経験が邪魔になることさえある。一朝一夕で任せられるようにはとてもならない。
 
結局、長時間そばにいて本人のニーズを一番よく知っている家族が介助者の育成を担わないと成り立たない、ということになる。それは個人差の大きいALSという病気の特性上、仕方ないことだが、支援者の「育成」にかかるコストに関する議論は、成熟しているとはとてもいえない。
 
事業所から指導役のヘルパーが来る同行支援にも、かなり限界があると思う。今のところ家族よりケアを熟知している人は育っていないし、どこも人手不足でヒイヒイなので、見ていていつもこちらが気の毒になる。なかなかこちらのニーズに沿うケアをしてくれなくても、本人の姿勢とかやる気のせいというよりも、労働環境とか仕組みのせいな部分も大きくあると思う。もちろん全員ではないよ。
 
彼女たちが報われる方法を考えたいが、今のままではなんとも無力なので、せめてうちに来てもらった時は不快な思いや肩身の狭い思いをさせないで済むように試行錯誤するくらいしかできない。
 
「めんどくさ、要望があるならはっきり言うたらええがな」とお思いの方もいるだろうが、もちろんはっきり言うときもある。だけど立て続けに言わなきゃいけないことが起きると、すごくしんどさを感じてしまう。
相手が全面的に悪いのなら心は痛まない。だけど、母親の要求が多い上に細かくて難しいことを思うと(それはもうしょうがないのだが)、あながち介助者のせいだけにもできないのである。
 
 
介助者の方達に対し、「早く私の代わりに全部やってくれよ!」と言いたい訳ではない。
要するに、介護は「自分でやるのも大変だし、他人に任せるのも大変」なのだ。
 
ただでさえ人と人が長い時間関われば、お互い人としてのごまかしがきかなくなる。大げさに言えば、人間性が丸裸にされるのである。
それは介護士でも看護師でも同じことだ。
長く一緒にいればいるほど、お互いに気づかなくて良かったその人の悪いところに気づいてしまうし、私自身も母も、最初のいい顔をずっと続けることはできない。
そんなこんなで、互いの仮面が一枚一枚無常にも剥がされていき、こちらが「この人にケアを任せていいのか?」と疑問に思い始めた時には、もう大体うまくいかない。違和感はどんどん増幅していき、人手不足にあえぐ中、断腸の思いでケアに入ってもらうのをお断りすることになる(あるいは、向こうから辞めてしまう)。
 
そもそも欠点がない人などいないし、欠点も愛せるほど、相性の合う方ももちろんいる。そういう人に出会えた時は、ただただひたすら巡り合わせに感謝するばかりである。
 
逆に、最初「いい人だなー」と思ってた人がどんどん「あれ?」となっていくときのあの感覚は、なかなか辛いものがある。
人と関わるということは、そういうことなのだと思うけれど。
 
 
とにもかくにもそういう段階を乗り越えられるかは、支援者と被支援者の関係において、最初にして最大の大きなハードルだ。
 
とは言っても、こちらとしてはそんなに高いレベルを求めているつもりはない。
経験もスキルも不問。知識や技術なんて後からどうとでもなるし、「思いやり」も一方的に求めるものではない。
 とにかく「素直」な人であること、人の話をよく聞いてくれること、それだけだ。
 
「何を偉そうに、支援を受けられるだけありがたいと思え」と言われようが、ここだけは譲れないポイントである。介護者の質に、母(と私)の生活の全てがかかっていると言っても過言ではないからだ。
 
 
でも、事業所はとりあえず経験豊富な人や資格を持っている人、あるいはとにかく自己犠牲的で献身的なタイプ(に見える人)を即戦力として扱いがちな風潮があるように思う。
こちらとしては、ALSの介護で即戦力なんてあまり期待していない。
「こういう時はこう!」というマニュアル思考ではなく、じっくりと時間をかけて慣れようと頑張る心意気のある人がいちばんの即戦力である。そして慣れてもらうまでには、家族も一定のコストを払う必要がある。
  
あらゆる支援を活用しようが、そこは今の所、超えられない課題だ。
時間をかける必要がある。今ちょうど1年経ったが、手を離すにはまだまだかかるだろう。
 
 
そんな感じで、現在進行形で奮闘は続いている。
 
 
 
 
ここまで9割方不満しか書いていないのだが、本来、ケアに関わる全ての支援は本当にありがたいものだ。介護や自立支援の制度すらない昔だったら、介護は家族が全て担わなければならなかった。公的な支援を切望し遂に受けられないまま亡くなった方もいるし、介護疲れから家族や自分を殺めてしまった人もいる。
そして今でも、生きるため戦っている人たちが日本全国に、いや世界中にもたくさんいる。
 
大部分のケアを他者に任せられる状況にあって、選べる立場じゃないと言われても、本当は強くは言い返せないのが本音だ。
 
それなのに、色々やってもらう内にその状況に慣れちゃってくる自分への違和感と、それでも一部の介助者の人たちに対し「プロなんだからちゃんとやってくれよ」と思わずにいられないストレスと、いろんなものの板挟みで、ここ半年ほどはけっこう苦しい思いをしていた。
深刻な「人疲れ」である。
 
他にも大変なことは数知れずあった。
だけど、少しずつ解消されてきていることが多い。
「夜寝れない」「仕事を辞めなきゃいけない」という、目に見えてまずい状態の時もあったが、たまたま私が20代の働き盛りの若者であったからか、その時は数ヶ月ほどで必要な支援(重度訪問の時間数)をいただけた。
私が任されているケアの中身に関しても、最初は抵抗のあった排泄介助や痰の吸引も、今では別に何も感じない(もちろん大変じゃないなんてことは絶対にない。他の介護者の方々の名誉のためにも)。
休みがないのは辛いが、朝近所を散歩したり本を読んだり、たまに友達と飲みに行く時間もある。
職場にも多大な理解をいただいて仕事を続けられているし、頑張れば改善できる余地は色々ある。

他のALSの介護者の方々より、恵まれていることが多いとも思う。

 
だけど。
母と介助者と自分、あらゆる方向を見ながら諸々を調整していくことの大変さは、これからもしばらく途切れることはないだろう。
 
だらだらと書いたが、要するに、介護における「人との関わり」の大変さは結構ヘビーだと、個人的には思うのである。
 
 
 
 
以上の話を要約すると、
人とあまり好んで関わってこなかった人間が、いかに人にうまく依存するかという問題に正面からぶつかっている、という話だった。
 
 
 
私がこのようなブログを始めようと思ったのは、いろいろ理由がある。
 
1つは、介護を始めて1年が経ち、自分の経験を改めて意味付けしておきたかったこと。
また、「個人的な話」として書いたものの、ある程度代表性があるのではないかとどこかで感じていたので、発信のために言葉にしておきたかったこと。
 
 
 
 
 
 
今回は私個人の話題に寄っていたが、今後はもう少し今の社会の現状に目を向けて、色々な要素と紐付けて書いていけたらと思う。
 
 
その上で、誰かの目に止まり、少しでも共感を寄せてくれる人がいたら。
何かしらの問題提起になったら。
あわよくば、根本的な解決になるようなアイデアに繋がったら。
 
 
そんなことを思うので、不定期にはなりますが、これからも色々と発信していきたいと思います。