ALS若者ケアラーのblog

ALS患者の母を持つ20代若者介護者のblogです。

介護が始まって1年

母がALSになり、介護のため仕事を休職してから丸1年がたった。
 
ありがたいことに職場の理解も得て、今は段階的に復職させていただいている。
それでも完全にフルタイム復帰には至っていない状況である。
 
 
 
何かの本にあったが、ALSは「くじ」のようなものだ。確率は低いが、誰かが必ず引いてしまう。
そういう大変なくじを引いてしまった人や、それを支える人たちに対する社会のありようとか、そもそも自分にとっての幸せってなんだっけとか、困ってる人とそうでない人の境目ってなんだっけとか、
色々考えさせられた1年だった。
 
1年。
ちょうど節目だし、少しずつ振り返ってみようと思う。
 
こうして文章にすることで誰かの目に触れ、同じ立場の人にとって有益な情報になったり、安心できる材料になったりすれば良いと思うが、そういった内容はまだ先にまとめていきたい。
 
 
 
 
「ヤングケアラー」という言葉がある。家族の介護や世話を担う18歳以下の若者のことだ。
上限をさらに30歳くらいまで引き上げれば「若者ケアラー」と呼ばれ、私はそれに当てはまることになる。
とにもかくにも、要介護の人がどんと増えた近年になって、その存在に少しずつ目が向けられてきている。
平成29年度の総務省の調査では、 30歳未満で仕事以外で介護を担っている若者は13万6000人以上に上るという。
 
その中で、ALSの家族の介護を担っている人は一体どれくらいいるのだろう。
 
 
 
ちなみに基本情報として母の今の状態を述べておくと、気管切開をして人工呼吸器をつけており、今動かせる筋肉は顔の表情と嚥下のみ。食事は少し口から食べられるが、首から下はほぼ完全に動かず、寝たきりである。
他に併発した病気などもなく健康で、認知はいたってクリアだが、常にどこかマッサージをしていないと体の不快感に耐えられない。(これが難儀)
制度としては介護保険と重度訪問介護を併用しつつ、在宅で過ごしている。
夜勤の方には毎日入ってもらっているが、日勤ヘルパーがなかなかみつからないので、私も仕事のない時は1日中側にいて介助をしている。
というより、誰も介助者がいない時は仕方なく仕事をセーブして介助に入る。
 
 
周りの人たちには、何度も「大変だね」と声をかけてもらってきた。
でも多くの人には、何が本当に大変なのか、あまり伝わっていないように思う。
当然だ。逆の立場で言えば、私だって、経験してないことはわからないのだから。
何も言わずして理解してもらおうとは思わない。
だから、まず言葉にしてみようと思う。
 
 
よく言われるのが、
「若いのに介護って大変だね」
「お母さん、辛そうで大変だね」
「ゆっくり休めないから大変だね」
「将来が不安で、大変だね」
 
確かにそれも大変だ。一般的には。
でも変な話、なんだかそれも言われすぎて慣れてきた自分がいる。
 
「全然大丈夫です」とは言わないし、時々ふいに悲しい気持ちになることもある。
 
だけど、もはや同世代の一般的な「大変さレベル」もわからないし、誰だって将来は不安だし、せっかくの休みがやりたくもない仕事に毒されている人も大勢いる。
私だけが特別な訳でもない気がしている。
 
 
最近気づいたことなのだが、私が個人的に今抱えている中で最も重い悩みは、先の見えない将来でも、休みがないことによる疲れでも、同世代に理解者がいない孤独でもない。
 
「人と関わらないと生きていけなくなる環境に突然放り込まれたことによるしんどさ」なのではないかと思う。
 
どういうことか。
かなり長い愚痴のようになるが、書いてみる。
 
 
 
私個人の話から始めると、
私はもともと人と関わることが、苦手というより、好きではない方だ。
こだわりが強く、一人の時間が人より多めに必要なタイプであり、もともと家族関係も比較的希薄で、人付き合いはあっさりしている方だと思う。
 
昔から「人と人は助け合って生きている」という世界観がいまいち腑に落ちず(実際はめちゃくちゃ助けられているのだが)、どこか自分の人生を「一人で生きている」ような感覚で生きていた。
理由はよくわからないが、それだけ環境に恵まれていたということだと思う。あと堂々ということではないが、自分からあまり人を助けた記憶もない。
誰かを頼るくらいなら自分でやりたいし、周りのことも家族のこともあまり気にしない子どもだった。そのまま大人になった。
社会人としてはそれでつまずくこともあったが、だからといって持って生まれた性格はなかなか変わらない。
 
そんなどうしようもないマイペース人間が、いきなり放り込まれた家族介護の世界。
 
 
同じ人と関わるのでも、それが「仕事」だったらまだ良い。お給料というわかりやすい報酬もあるし、同じ業界であれば話の合う方も多いので、関わること自体が楽しみだったりする。
 
だけど、家族の介護ではそうはいかない。
仕事は「公」であるが親の介護は「私」である。今まではのうのうと自分の世界に閉じこもっていれば済んでいた「私」の領域に、いきなり多数の人たちが流入してくることになる。
現在母のケアに携わってくれている介護職、医療職だけでも数十人ほどの関係者がおり、毎日自宅を出入りしている。彼らも仕事なので、別にこちらのプライバシーが著しく侵されるようなことはないが、それでも少しずつ気は使う。
しかも関わる人ほぼ全員、世代が上の人たちばかりで、黙ってても話が合う人は少ない。でも頼るところは頼らないとやっていけないし、時にはこちらから教え伝える必要も出てくる。
「自分、人付き合い苦手なんで・・」などとスカしたことは言っていられない。人間と関わらないで介護というミッションをこなすのは、土台無理である。じゃないと、本当に自分が潰れてしまう。
 
そこで今までの、「知らない人と関わるのダルいっす…」的要素丸出しだった甘ちゃんの自分を、大いに方向転換する必要が出てくる。
自分自身も大部分のケアを担いつつも、自分から手を広げ、なるべく人を頼り、感謝を伝え、曖昧にせずにはっきり意思を示し、多方面に気を配り、自分だけじゃなく全体的な「場」が快適であるように動く。とにかく今の生活を良くしたい、その一心で、今までの閉じた自分と日々格闘している。
 
ただ、どれだけミッションのため奮闘しようが、当たり前だけど給料なんて出ない。「やりがい」という名の無形の報酬も、あまりない。正直、ほぼ削り取られるのみの苦行である。(苦しんだぶん成長するとかそういう話は一旦脇に置いといて)だけど、やらないという選択肢はそこにはない。
 
現在、介護は確かに、ある程度プロに任せることができる。と言っても、どんなプロでも相手は人間だ。まったく非の打ち所のない、パズルのピースがぴったりはまるかのごとく機能できる完璧なプロフェッショナルなんていない。何かしら、足りないのが普通である。人としての相性だってある。そんなことは当たり前で、今さら不満には思わない。
 
大変なのは、そんな多種多様な人々に対し、お茶でも飲みながら世間話をするだけならまだしも、込み入った話やうんざりするほど細かい(ただ無視できない)依頼、時にはクレームのような事柄も、この先も続く関係性を見越して事を荒立てずに伝えなければならないということだ。
しかも、自分のことではなく他人(母)のことで
 
呼吸器をつけたALS患者は自分の意思を正しく汲み取ってもらうのが大変なので、ある程度そのスキルの身についた私が、母のスポークスマンとしての機能を担わねばならないのである。
母のことはまあ大事だが、私は自分の体裁も守りたい。嫌われるのはしょうがないが、気まずいのは嫌だ。細かいこと一つ一つに言うのか言わないのか迷うし、「なんでこんなこといちいち言わなきゃいけないんだよ」と、母に対しても、介助者の方々に対しても、思うことはたくさんある。
もはや、どっちを向いていいのかわからなくなることもしばしばだ。
(私は母だからといって特別にかばうような扱いはしないし、母もそんなことを望んでいないと思う)
 
あまり議論にはのぼらないが、家族の介護というのはそういう、人同士の微妙な調整もミッションに含まれている。
コーディネーターのようなものだ。
繰り返すが、その役割を担うのは「私」的領域においてである。
仕事のように、苦しければ最悪辞めて次を探せばいいという類の話ではないし、割り切って淡々と処理できるほど冷徹になりきれない自分がいる。
「私」的領域からは逃げられないのである。
 
 
「親の介護をしています」と話すと、
「一人で抱え込まないで、あらゆる支援を活用してほしい」
「誰かに任せてもいいんだよ」
と、プロの人からそうでない人まで、ほとんどの人たちにそう声をかけられる。
 
確かに、それはマジでごもっともだし、それが常識になりつつあるというのは、考えてみればすごいことである。そして1ミリも間違ってはいないと思うので、私も最初からずっとそれを意識して動いている。
 
ただ、恐れながら声を大にしていいたいのだが、「支援を受けること」は決してゴールなのではない。その先にも果てしなく長い道が待っている。支援の枠だけ与えてもらっても、その中身が充実しないのでは意味がない。「支援を受けられること」と「安心して任せられること」の間には、依然として大きな隔たりがあるように思う。つまり、要は人の質の問題である。
 
ここまで1年ほど介護をしてきた経験から言うと、ヘルパーさんにしろ看護師さんにしろ、最初から全てを任せられる人は皆無である(ALSはそもそも母数が少ないのだから、介助できる人が育っていないのは仕方ない面も大いにある)。
特に重度訪問介護は未経験者の方が多いし、多少経験があったとしてもほぼ関係ない。個々の病や障害のありようによって必要なケアが大きく変わるので、むしろ経験が邪魔になることさえある。一朝一夕で任せられるようにはとてもならない。
 
結局、長時間そばにいて本人のニーズを一番よく知っている家族が介助者の育成を担わないと成り立たない、ということになる。それは個人差の大きいALSという病気の特性上、仕方ないことだが、支援者の「育成」にかかるコストに関する議論は、成熟しているとはとてもいえない。
 
事業所から指導役のヘルパーが来る同行支援にも、かなり限界があると思う。今のところ家族よりケアを熟知している人は育っていないし、どこも人手不足でヒイヒイなので、見ていていつもこちらが気の毒になる。なかなかこちらのニーズに沿うケアをしてくれなくても、本人の姿勢とかやる気のせいというよりも、労働環境とか仕組みのせいな部分も大きくあると思う。もちろん全員ではないよ。
 
彼女たちが報われる方法を考えたいが、今のままではなんとも無力なので、せめてうちに来てもらった時は不快な思いや肩身の狭い思いをさせないで済むように試行錯誤するくらいしかできない。
 
「めんどくさ、要望があるならはっきり言うたらええがな」とお思いの方もいるだろうが、もちろんはっきり言うときもある。だけど立て続けに言わなきゃいけないことが起きると、すごくしんどさを感じてしまう。
相手が全面的に悪いのなら心は痛まない。だけど、母親の要求が多い上に細かくて難しいことを思うと(それはもうしょうがないのだが)、あながち介助者のせいだけにもできないのである。
 
 
介助者の方達に対し、「早く私の代わりに全部やってくれよ!」と言いたい訳ではない。
要するに、介護は「自分でやるのも大変だし、他人に任せるのも大変」なのだ。
 
ただでさえ人と人が長い時間関われば、お互い人としてのごまかしがきかなくなる。大げさに言えば、人間性が丸裸にされるのである。
それは介護士でも看護師でも同じことだ。
長く一緒にいればいるほど、お互いに気づかなくて良かったその人の悪いところに気づいてしまうし、私自身も母も、最初のいい顔をずっと続けることはできない。
そんなこんなで、互いの仮面が一枚一枚無常にも剥がされていき、こちらが「この人にケアを任せていいのか?」と疑問に思い始めた時には、もう大体うまくいかない。違和感はどんどん増幅していき、人手不足にあえぐ中、断腸の思いでケアに入ってもらうのをお断りすることになる(あるいは、向こうから辞めてしまう)。
 
そもそも欠点がない人などいないし、欠点も愛せるほど、相性の合う方ももちろんいる。そういう人に出会えた時は、ただただひたすら巡り合わせに感謝するばかりである。
 
逆に、最初「いい人だなー」と思ってた人がどんどん「あれ?」となっていくときのあの感覚は、なかなか辛いものがある。
人と関わるということは、そういうことなのだと思うけれど。
 
 
とにもかくにもそういう段階を乗り越えられるかは、支援者と被支援者の関係において、最初にして最大の大きなハードルだ。
 
とは言っても、こちらとしてはそんなに高いレベルを求めているつもりはない。
経験もスキルも不問。知識や技術なんて後からどうとでもなるし、「思いやり」も一方的に求めるものではない。
 とにかく「素直」な人であること、人の話をよく聞いてくれること、それだけだ。
 
「何を偉そうに、支援を受けられるだけありがたいと思え」と言われようが、ここだけは譲れないポイントである。介護者の質に、母(と私)の生活の全てがかかっていると言っても過言ではないからだ。
 
 
でも、事業所はとりあえず経験豊富な人や資格を持っている人、あるいはとにかく自己犠牲的で献身的なタイプ(に見える人)を即戦力として扱いがちな風潮があるように思う。
こちらとしては、ALSの介護で即戦力なんてあまり期待していない。
「こういう時はこう!」というマニュアル思考ではなく、じっくりと時間をかけて慣れようと頑張る心意気のある人がいちばんの即戦力である。そして慣れてもらうまでには、家族も一定のコストを払う必要がある。
  
あらゆる支援を活用しようが、そこは今の所、超えられない課題だ。
時間をかける必要がある。今ちょうど1年経ったが、手を離すにはまだまだかかるだろう。
 
 
そんな感じで、現在進行形で奮闘は続いている。
 
 
 
 
ここまで9割方不満しか書いていないのだが、本来、ケアに関わる全ての支援は本当にありがたいものだ。介護や自立支援の制度すらない昔だったら、介護は家族が全て担わなければならなかった。公的な支援を切望し遂に受けられないまま亡くなった方もいるし、介護疲れから家族や自分を殺めてしまった人もいる。
そして今でも、生きるため戦っている人たちが日本全国に、いや世界中にもたくさんいる。
 
大部分のケアを他者に任せられる状況にあって、選べる立場じゃないと言われても、本当は強くは言い返せないのが本音だ。
 
それなのに、色々やってもらう内にその状況に慣れちゃってくる自分への違和感と、それでも一部の介助者の人たちに対し「プロなんだからちゃんとやってくれよ」と思わずにいられないストレスと、いろんなものの板挟みで、ここ半年ほどはけっこう苦しい思いをしていた。
深刻な「人疲れ」である。
 
他にも大変なことは数知れずあった。
だけど、少しずつ解消されてきていることが多い。
「夜寝れない」「仕事を辞めなきゃいけない」という、目に見えてまずい状態の時もあったが、たまたま私が20代の働き盛りの若者であったからか、その時は数ヶ月ほどで必要な支援(重度訪問の時間数)をいただけた。
私が任されているケアの中身に関しても、最初は抵抗のあった排泄介助や痰の吸引も、今では別に何も感じない(もちろん大変じゃないなんてことは絶対にない。他の介護者の方々の名誉のためにも)。
休みがないのは辛いが、朝近所を散歩したり本を読んだり、たまに友達と飲みに行く時間もある。
職場にも多大な理解をいただいて仕事を続けられているし、頑張れば改善できる余地は色々ある。

他のALSの介護者の方々より、恵まれていることが多いとも思う。

 
だけど。
母と介助者と自分、あらゆる方向を見ながら諸々を調整していくことの大変さは、これからもしばらく途切れることはないだろう。
 
だらだらと書いたが、要するに、介護における「人との関わり」の大変さは結構ヘビーだと、個人的には思うのである。
 
 
 
 
以上の話を要約すると、
人とあまり好んで関わってこなかった人間が、いかに人にうまく依存するかという問題に正面からぶつかっている、という話だった。
 
 
 
私がこのようなブログを始めようと思ったのは、いろいろ理由がある。
 
1つは、介護を始めて1年が経ち、自分の経験を改めて意味付けしておきたかったこと。
また、「個人的な話」として書いたものの、ある程度代表性があるのではないかとどこかで感じていたので、発信のために言葉にしておきたかったこと。
 
 
 
 
 
 
今回は私個人の話題に寄っていたが、今後はもう少し今の社会の現状に目を向けて、色々な要素と紐付けて書いていけたらと思う。
 
 
その上で、誰かの目に止まり、少しでも共感を寄せてくれる人がいたら。
何かしらの問題提起になったら。
あわよくば、根本的な解決になるようなアイデアに繋がったら。
 
 
そんなことを思うので、不定期にはなりますが、これからも色々と発信していきたいと思います。